世界の街角で |
世界の中華料理(私の独断と偏見) |
文と写真/中川弘(日赤救急法指導員) |
ジェット機の発達によって、世界各地への旅、つまり海外旅行が手軽にできるようになった。もちろん、そこは民族・宗教・言語などの異文化、衣食住に個性のある世界である。歴史と自然に関心の強い私はそんな異国に数多く出かけた。海外では現地をよりよく理解するため、ホテルのレストランでは万国共通の食事を避け、もっぱら現地の料理を食べている。たとえば、食道や胃が焼け、涙を流し汗をかいて食べたスリランカの辛いカレー、群がるハエを追い払いながら牛肉の塊を切り取りワット(唐辛子の汁)をつけながらパクパクと口に入れたエチオピア料理、その後強烈な下剤を飲んで腹の中をすっかり掃除したのはもちろんである。こんな例は枚挙にいとまがない。羊料理・ナン(中近東のパン)・野菜なし、そんな食事が何日も続くと、日本食などの食べ慣れた食事がほしくなる。そんなとき、世界のどこにもあるのが中華料理店である。 初めて、私が外国で中華料理を食べたのはエチオピアである。東京オリンピックの後の1966年は海外渡航が認められたが、外貨の持ち出しは500ドルと制約されていた。 しかし外務省と神奈川県の後援を得た「アフリカ縦断親善登山隊」は、日本からの送金を受けながら6か月近く登山をし、車で縦断を続けた。最初の40日余りがエチオピアである。首都アジスアベバに中華料理店が二軒あると教えられて訪れた店のメニューはアムハラ語とイタリア語である。判読に難渋していると、中国人の老店長が漢字のメニューを持って現れた。姓を聞くと袁と書いた。袁という名字から、私が清末の袁世凱のことをほめて話すと、「実は袁世凱と近い親戚」と老店長は好顔をくずして大喜び。次々と料理を出して「私のおごり」と機嫌がよい。店も味もまあまあだが、とても楽しい雰囲気で美味だった。 モザンビークのベイラやエジプトのカイロでの現地産の野菜、新鮮な貝を使った中華のその土地の味付けは風味があって口に合う。 イギリスの食事は平凡である。そんなとき変化を与えてくれるのがチャイナ・タウンの中華料理かインド料理。高級店から大衆店まであるが味はまあまあ。 味や雰囲気などで印象に残るヨーロッパの中華飯店は、ゲントの古城や市庁近くの店。ゲントは、ベルギーのツアー旅行なら必ず訪れるブルージュの隣の都市。イタリア料理に食傷したら、フィレンツェ中央駅近くの店。すぐ分かる。私は四晩も通った。 イスラム圏のトルコ・イラン・アフガニスタン(現在は政治的事情で入国できない)の現地料理、シリア・ヨルダンのアラブ料理など変化があって飽きがこない。ということは中華料理を食べたいと思わなかった。もちろん、どの国にも中華料理の店はある。 ソ連のアフガニスタン侵攻以来、アフガン難民救援のためにパキスタンには4回ばかり出かけた。旧都ラホールの中華料理店では、経営者の老夫婦と息子から福建を出てからの、いわゆる華僑の苦労話が料理に不思議な味を添えた。翌年も私のことを覚えていた店の一家の歓待もよい味付けになった。ペシャワールでは、生活を共にした難民救援のアフガン人ドクターたちを中華料理店に招待した。フレンドリーに食事をするとおいしくなる。 インドのデリーの中華料理店には寿司もあった。中国と日本のミックス料理はいただけない。 タイ・シンガポールの一流店は別として、東南アジアの中国料理は、ミャンマー風・カンボジア風中華料理、ヴェトナムは逆に中華風ヴェトナム料理といったほうが適切と思う。どこの国でも現地産の食材に、現地風の味付けをしているからであろう。 ローマやニュージーランドのオークランドでの点心、ウエリントンでのシュウマイなどは、高脂肪・高蛋白の肉類にうんざりしたときには、すばらしく口に合う。 日本料理の値段は、ヨーロッパなどでは高く、アメリカはまあまあ。メキシコなど中米は驚くほど安い。しかし中華料理は、どこの国でも納得のいく料金で口にできる。サンフランシスコの中華街で注文したワンタンスープは量が多く、それだけで腹いっぱい。後の注文ができない。フィラデルフィアの中華街で3品注文した。もちろん半分も食べられない。テイクアウトを求めると、さっとパックに詰める。手慣れたもの。これを翌日の昼、ワシントンのポトマック河畔で即製のはしで食べた思い出は忘れられない。 |
菜香グループ | 悟 空 | 耀 盛 號 | 菜香食品 | 新光貿易 |