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2000年前中国人は こんなものを食べていた! |
みなさんがおなじみの中国料理って、なんでしょう? すぶた・春巻き、あるいはフカヒレスープ、あるいは北京ダック?みんな新しい料理!新しいといっても、2〜300年前ですけど・・・。それじゃあ、2000年前の中国の人はなにを食べていたの? ●肉 中国古代の家畜の代表「六畜」といわれるのは、犬・ブタ・牛・馬・羊・鶏。犬は新石器時代に家畜になりました。その後イノシシをブタに改良、背中のこぶの退化した牛は耕作や車の牽引に使い、馬は馬車・戦車の牽引用、羊は羊毛を取り食料に、鶏は身近な食肉というところ。ほかに狩ったシカ・ウサギ・キジ・カモの類い。 ●魚 一般的には、川・湖の淡水魚。コイ・フナ・ケイギョなど。 ●米・小麦 長江下流の河姆渡(かぼと)遺跡は今から7000年〜5300年前の遺跡で、この地の人々は水稲稲作を基盤としていたそうです。2000年前の人は米・麦・アワ・キビ・豆の五穀のほか黒もち米などの穀物を「こしき」で蒸したり、釜で煮ていました。唐代には小麦粉を加工した食品が主流になり粉食が主食になりました。現在おなじみの肉まん・餃子・ワンタンなどはこのころ普及した食べ物ということです。 ●調味料 酢・醤(みそ)もちろん古くからありました。コショウ・ニンニクは西域から伝わり、大豆を発酵させた豆 (ドウチ)は調味料・薬として2000年前にすでに一般的に使われていた!かんきつ類の皮、陳皮(チンピ)は外来の香辛料、薬でもあり、羹(あつもの)に使用されました。ネギもよく使われます。 ●料理のかたち 肉や魚をあぶり、また羹(あつもの)をつくっていました。 炙(あぶり肉)―肉をあぶり焼きにしたもの 膾(なます)――肉や魚を細く刻んだもの 脯(ほしし)――塩漬けにして乾燥させた肉 羹(あつもの)―肉などを煮込んで作るスープ状のもの 「人々にもてはやされる」という意味でこのころ使われた言葉が「人口に膾炙(かいしゃ)する」、言葉に膾・炙があるでしょう?「羊羹(ようかん)」はヒツジのあつもの。 ●調理法 強火で熱した中華なべにたっぷり油を入れ、食材を入れて炒める、これぞ中国料理の馴染み深い光景。 ところが、この炒(チャオ/油で炒める)や炸(ザァオ/油で揚げる)など、おなじみの調理法は、2000年前の昔はなかった!薪に変わる強い火力のコークスが使用されるようになり、その強火に耐える鉄なべが普及する宋代以降(700年ほど前)に一般化する調理法。それでは2000年前の調理法は? 蒸(ゼォン)―蒸す 煮(ジュウ)―炊く・煮る・ゆでる ●(カォ)――火にあぶる、火に当てて焼く 焼(シャオ)―あぶり焼きにする 煎(ジェン)―少量の油で両面を焼く、炒める ●料理書 2000年前の中国料理、というのは、『礼記』以来、種々の書物に断片的に名称と材料・ごく簡単な作り方が載っています。系統的な料理書として現存最古のものは、『斉民要術』。西暦530年〜550ころ書かれ、著者は賈思●(かしきょう)。題名は「庶民が知っておくべき要諦」の意。 ●宴会図中央に案(あん)が置かれている 漢の時代、食事の時は「席(せき)」というござに座り、「案」というお膳に、各々に小分けされた料理を乗せました。唐代になると北方の習俗を取り入れていす・テーブルの生活スタイルが定着します。 |
●黄慶・厨師の話 2000年前の私の祖先はなにを食べていたのか? 横浜で「中国文明展」が開催されるということで、NHKから古代料理調理、TV放映の依頼が来たことから始まったこの企画、私自身興味を引かれ、取り組みました。 今回の料理は『斉民要術』という現存する最も古い料理書をもとに調理しています。苦労したのは、その本には材料と調味料、簡単な作り方が書いてあるだけ、ということです。味は想像するだけでした。当時の地理的状況から、塩や酢などを多用した保存食的料理が多いですね。古代人と現代の我々とでは味覚の差があったのではないか?とも思いますが、味の細部は歴史を振り返りながら作りました。 横浜市中区山下町164 電話:045-681-4136 NHK「ひるどき日本列島」で放映されました |
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