世界の街角で |
大連市友誼医院入院の巻 |
文と写真/曽牧英 |
![]() すぐに王さんの奥さんが勤めている大連市友誼医院に連れて行かれた。朝8時だった。病院の玄関で王さんの奥さんが待っていてくれた。彼女は精神科の先生で常先生という。まず外来の外科医の診察を受けた。診察中何人もの患者が入ってきて医師になにやら聞く、看護婦が来てなにやら聞く、医師はいちいち受け応えしていてちっとも私に集中しない。日本にはない光景だ。 診断は「盲腸の可能性は充分あるが胆のう炎の可能性もあるので入院棟で検査するように。」との指示だった。入院棟は50mぐらい離れた裏の別棟だ。常先生は親切に入院棟から車(救急車?)を呼んでくれた。しかし15分待っても20分待っても来なかった。実に長く感じられた。何度も入院棟に電話をして催促していた様子だが結局来ないので歩いて行くことになった。車椅子はなかった。母は私のためにビニール袋を持って後ろからついて歩いてきた。 ![]() 婦人科の検査が始まった。このおなかの痛みは「卵巣が破裂して出血している可能性があるので検査する」というのだ。ますます恐ろしいことになってきた。検査はさらに痛みと恐怖を伴うもので検査が終わるまで私は大声で泣き叫んでいた。あとで聞いた話だが母も不安で泣いていたそうだ。そして再度エコー検査。女性の検査医が言った。「婦人科は問題ありません。」 ホッとした…。これで一つ疑わしきは排除したということか。割りきれない気持ちが残った。車椅子が1台廊下の隅に置いてあった。やっとそれに乗せてもらうことになった。そしてもう一度外科医の診察を受けた。それはさっきの医師ではなかった。おなかのあちこちを押してみて、「まだ盲腸とは断定できない。」と言って出ていってしまった。 じゃ一体何なんだ……。その外科医に代わって入って来たのは60歳を超えた白髪まじりのかっぷくのよい外科主任の女医さんだった。しばらく検査の結果表を見ながら私のおなかを押して言った。「盲腸に間違いありません、すぐに手術をします。そうしないと腹膜炎をおこす可能性があります。手術は簡単なものですから心配いりません。」先生は私と母の顔を交互に見つめながら諭すように言った。充分自信に満ちていて説得力があった。2時間30分後の最終診断だった。 こうして私は大連市民が利用している大連市友誼医院に入院することになったのだ。 手術は1時間程度で終わった。4日目には外泊が許され6日目に退院、7日目に日本に帰ってきた。 ![]() 各病室にはまるで開店祝いを思わせるようなりっぱな赤いリボンのついた大きな見舞の花かごがいくつもあった。面会人は多く、話し声は大きくにぎやかだ。日曜日などは廊下まで面会人がはみ出して話に花を咲かせている。 設備やシステムなどの差はあるが、そこには庶民の明るさやあったかさがあって、日本の病院に特有の暗さや陰うつさは不思議に全く感じられない。まさに泣いたり笑ったりの思いもよらぬ1週間であった。 ![]() ※写真キャプション(上から順に) ○大連の街並み ○最も信頼されている外科主任 ○二日目に病院を探検 ○クレープに野菜・肉を炒めたものを 包んで食べる |
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