美中生韻
紀元前の遊牧民たち4
畠山 禎(横浜ユーラシア文化館)
http://www.eurasia.city.yokohama.jp/
 今から2千3百年ほど前の中国、戦国時代のことです。趙の君主である武霊王が「胡服騎射」の導入を宣言して、大騒ぎになりました。

 この時代の「胡」は北方の騎馬遊牧民のこと、「騎射」は、馬に乗って弓を射ることです。つまり、武霊王は、騎馬遊牧民のような服装をして、騎馬遊牧民のように馬に乗って弓を射る戦術を採用すると言い出したのです。当時の中国では、戦車と歩兵による戦いが一般的でしたが、それでは機動力に優れた騎馬遊牧民たちにかないません。そこで、敵の兵法を取り入れ、服装も、それまでの裾の長いものから、馬に乗りやすい上着とズボンの組み合わせに変えようとしたわけです。

 伝統を重んじる宮廷では、強硬な反対意見がでましたが、武霊王は改革を実行、北方の騎馬遊牧民たちを打ち破ることに成功します。

 歴史書の中ではしばしば野蛮な人々として記録される騎馬遊牧民たちですが、実は伝統ある中国の服飾文化を変えさせるほどの影響力を持っていたことがわかります。

 さて、今回ご紹介する作品は、帯鉤(たいこう)といわれるベ ルトの留め金です。裏側の突起をベルトの一端に差込み、もう一方の端をフックに引っ掛けて使います。バックルのような役割ですが、形はずいぶん違います。中国の春秋戦国時代から漢代にかけて流行した形で、紀元前3世紀の秦始皇帝陵の兵馬俑の騎兵たちも身につけています。

 元来、中国では、帯は結ぶものであり、金具で留める方法は春秋時代も後半になって登場したニューモードです。同時代の騎馬遊牧民にも、意匠を凝らしたさまざまなベルト留め金具があります。この帯鉤のデザインに騎馬遊牧民の直接の影響は認められませんが、帯鉤流行の背景には、他民族との接触による社会、文化の変容があり、武霊王の故事にも見られるように、そこには北方の大勢力、騎馬遊牧民の存在が深くかかわっています。

帯鉤(たいこう) 
中国 戦国時代(紀元前4~3世紀)
青銅製で、トルコ石の象嵌が残っている
横浜ユーラシア文化館蔵

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