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人々を見守る「天上の聖母」 約千年前、宋の建隆元年(960年)3月23日に福建省の湄洲(びしゅう)島に生まれた林黙娘は、小さいときから才知に長け、10歳のころには朝晩欠かさず念仏を唱え、16歳で神からの教えと銅製の札を授けられて神通力を得たといわれます。その力を駆使し、むしろに乗って海を渡り、雲に乗って島を巡回し、札の力で悪や災いを退け病を癒す彼女は、人々から敬意を込めて〈通玄霊女〉と呼ばれるようになりました。 987年9月9日に、28歳で修行を終え天に昇りますが、その後も赤い衣装を身にまとい海上で難民を救助する姿が見られたので、人々はこの島に廟を建て、護国救民の神として祭るようになりました。 その神通力は中国国内に広まり、歴代皇帝は媽祖に《霊恵妃》《天妃(天帝の妃)》や《天后(天帝の皇后)》《天上聖母》の名を贈り、廟に《天妃宮》《天后宮》などの扁額を贈って敬意を表しました。 航海の安全を守る海の神様としてのみならず、自然災害や疫病、戦争・盗賊から人々を守る神として、人々は媽祖に祈り、安寧を祈願します。大陸・台湾はもとより、華僑・華人が住む世界各地で媽祖は信仰され、現在媽祖廟は26か国に1500余か所、信者は約2億人といいます。 日本では15世紀に沖縄・琉球王国で祭られたのが最初といわれ、日本全国に媽祖を祭る神社仏閣が現存しています。また、横浜では明治時代の文献に、初代横浜関帝廟と清国領事館に天后宮が祭られていたという記録があります。この横浜媽祖廟は、独立した唯一の廟として3月17日に開廟しました。 横浜関帝廟とともに、横浜媽祖廟は華僑の伝統・文化を再認識し新たな歴史を創造するため、人々の心の拠り所となり、横浜中華街の街づくりにも大きな役割を果たしていくことでしょう。 |
![]() 湄洲媽祖廟 最初の媽祖廟がここに建てられた。世界中にある媽祖廟の祖地で「媽祖祖廟」といわれる。中国国内初め世界中から信者が訪れる。 |
![]() 湄洲媽祖廟の媽祖さま |
![]() 湄洲島 湄洲島の丘に立つ大媽祖観音は、台湾・台北の関渡宮媽祖観音と、海上を隔て向き合って立つ。 |
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横浜媽祖廟 内陣 媽祖さまの両脇に侍女、巡行用媽祖さまなど。向かって右の脇侍・千里眼が3つの目で行き先や周囲を監視し、左の脇侍・順風耳が悪巧みを聞き分け、媽祖を守る |
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![]() 媽祖さまが姿を現す (05年7月) |
![]() 彫刻完成間近の媽祖さま(05年11月) |
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湄洲媽祖廟で分霊式 (06年1月19日) 太鼓・ドラを合図に、横浜媽祖廟の媽祖さま、分神、百個の小媽祖さまの分霊(開光)式が始まる。 |
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