美中生韻 | |
シルクロード交易で大規模な国際都市となった唐の都、長安。特に玄宗が治めた開元天宝(713―756)のとき、長安には胡服、胡粧、胡楽、胡舞などのブームが巻き起こりました。キーワードは「胡(こ)」、ペルシア(イラン)など西方の民族にまつわることを意味します。ペルシア・ブームの背景には、ソグド商人のキャラバンがはるばる西域から敦煌を経て宝石・香料・工芸品など珍しい品々をもたらしていたこと、そして7世紀後半にイスラム勢力に滅ぼされたササン王朝から多くのペルシア人が長安に移住したこともありました。ササン王室に仕えた工芸家や芸術家も長安で活躍するようになり、彼らの生み出す華麗なペルシア文化の香りが都の貴族を魅了したのです。 開元天宝年間といえば、玄宗の寵愛を受けた楊貴妃(ようきひ、719―756)もペルシア・ブームの虜になりました。『旧唐書』や唐詩などには、楊貴妃と3人の美しい姉、そして貴婦人たちが胡食を食べ、胡曲を好み、胡服・胡帽を身に着けて男性のようにさっそうと馬にまたがる様子が記されています。(写真参照) では、唐の食生活を変えた胡食とはどんな食べ物だったのでしょう。胡瓜(キュウリ)、胡豆(ソラマメ)など胡の字のつく食材はイラン方面から伝わったといわれていますが、唐代に貴族たちの間で大流行した胡食の主なものは、胡餅など小麦粉を加工した食物でした。古くはアワ、キビ、稲を粒食していた中国で、小麦を大量に粉食するようになるのは唐になってからです。楊貴妃の大好物は新鮮なライチであったという記録がありますが、現在の肉まんや餃子のような小麦粉の皮で包んだ食品もおなかいっぱい食べていたかもしれません。彼女の時代は、ふくよか美人が理想とされていましたから…。
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