駿 SHUN

 横浜中華街の南門シルクロードに面した媽祖廟建設地で、地下からレンガを敷き詰めた遺構が出てきました。このレンガはいつのもの?どこで製造?敷き詰められたのはいつ? 開港以来の横浜の都市景観は、23年の関東大震災で失われましたが、地下からは今でも明治・大正時代の遺構・遺物が発見されます。

  中華街に近い日本大通りにある横浜都市発展記念館では、これまで市内で出土したレンガや日本最初の西洋瓦(ジェラール瓦)などの遺物や地下遺構を通して横浜の都市形成史をたどる【地中に眠る都市の記憶―地下遺構が語る明治・大正の横浜】展を開催中。媽祖廟建設地で出土したレンガも見ることができます。
  同館は03年春、「昭和戦前期を中心に、都市形成・市民のくらし・ヨコハマ文化の3つの側面から、開港期から現在にいたる都市横浜の発展の歩みをたどる展示施設」としてユーラシア文化館と同じ建物に開館しました。常設展示は「マカダム舗装の断面・現物」や「居留地の消臭機能のあるマンホール模型」が楽しく、パネル・模型などで横浜を振り返ります。

  「横浜は開港によって誕生した新しい都市。歴史的遺産も数多い。でも、それはあくまで地上の建造物のこと。地下遺構についていえば、近代のものは文化財の対象ではないんです。」古代・中世の遺跡は埋蔵文化財として、考古学的な発掘調査が行われるが、近代の地下遺構はその対象外であるため、現状では「地中障害物」と扱いは変わらないとのこと。
  こう話す同館の調査研究員・青木祐介(あおき ゆうすけ)さんは、全国でも珍しい建築史を専門とする若き学芸員、期待の☆。72年大阪に生まれ、育ち、でもおっとりタイプの32歳。同館開館に際し公募に応じ、いま職住接近で横浜本牧に住む。コテコテの大阪弁を話すこともあるというが、でもインタビューでは一言も大阪弁は聞けなかった、ん?


  青木さんは東京大学工学部で建築を学ぶ。もちろん設計や都市計画も勉強したが、興味があったのは建築史。卒論は「イタリア語もできないのにハハハ!」、『18世紀イタリアの建築家ピラネージについて』。東大大学院では、日本近代の和風建築に関心をもち、各地の寺院や神社を訪ね歩くようになる。今でも休暇を利用しては全国を旅し、古建築から現代建築までを見て歩くという。「旅行=勉強だなんて、よい専門分野でしょ。」上の写真はトルコでキリスト教会遺跡を調査したとき、暑くて頭に氷をのせたお茶目な学徒、祐介青年。

  横浜の官庁街である日本大通りの工事現場から古いレンガのマンホールが出てきた。連絡を受けて作業着で現場へ。「明治の物がふっと地下から出てくるなんて衝撃だった。」記録にはあったがだれも見たことがない「炭を入れて消臭機能をもたせたマンホール」に地下の世界に導かれた。03年、旧東急東横線高島町駅前のマンション建設現場からレンガ建造物が出土。「もしかしたら横浜駅?」そう第2代横浜駅の遺構であった。現在の桜木町駅にあたる初代横浜駅に次いで建てられ立派な外観を誇った建物で、15年に竣工、震災で被災。3代目が今ある横浜駅である。建築史研究者としての面目躍如、青木さんが報告をまとめた。


青木祐介さん


トルコ、オリーブの木の下で
  「横浜駅も遺構の「確認」でした。見つかるのは開発で掘り返したときなので、調査・保存が難しい。」それでも調査・分析の事例を積み重ねることが重要、との思いから今回の展示を企画した。

  「たとえ遺構の保存が難しくとも、調査の方法ひとつで、もっと多くの情報を得ることができる。これははっきりと言わないと。」この役割を、館が担わねばならない、資料は博物館の中だけでなく、現実の都市の中に眠っている。「展示室から出て都市を学ぶ、その拠点としたいですね。」

横浜都市発展記念館      
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/

(インタビュー 新倉洋子)

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