努爾哈赤と餃子の伝説
ヌルハチがまだ若いころ、とある山村で麻虎子という強暴な怪獣が荒らしまわるので村人は苦しんでいました。ところがヌルハチの前に現れた麻虎子は、「あなたのような真の王者には手向かいできない」と、戦わずしてひれ伏したので、村人はその麻虎子を殺し肉を刻んで小麦粉で作った皮で包んで食べ、これまでの恨みを晴らしました。その日は大晦日、以後毎年村人は正月を迎えるにあたり、ヌルハチの徳をたたえてこの食べ物=餃子を食べたといいます。
順治帝とブタ肉
順治帝が北京に入城後、紫禁城の大奥では神に捧げるブタが料理されました。満州族の人々にとって食材のトップはブタ肉そして羊。ブタの丸焼きは後に満漢全席の一品。清朝末、高級宴会はメイン料理で命名されるようになりますが、最高の宴席はブタの丸焼きがメインの「焼 席」。満州族は狩猟民族であるゆえ、地上に産する肉や野菜を好み、海産物は好みませんでした。
康煕帝のツバメの巣のかゆ
紫禁城生まれの4代康煕帝は、漢族を満州族と同列に扱い、漢文化を尊重しました。学問を奨励し『康煕字典』を編纂します。日常生活は質素を心がけ、食事は1日2回、朝は5時に起床して朝食にツバメの巣の入ったかゆを食べ、牛乳入りの茶を飲みました。
美食家、乾隆帝
6代乾隆帝の時代、アメリカから新種の作物(サツマイモ・落花生・トウモロコシ)が伝来し、農業技術の向上により収穫量が増加、生活が豊かになり人口が急増しました。
乾隆帝のころ、満漢全席は最高水準に達します。満漢全席とは当初、地方に赴任した満州族官吏を接待するために地元の漢族が考えた宴席の方法で、一つの宴の中に満と漢の料理を同数ずつ出すもの。これが習慣となって、料理の質が高まると同時に品数も増えていきました。満漢全席の標準的なスタイルは、南菜・北菜54種ずつの108種、プラス満州族の点心44種!
江南の特産アヒル料理も宮廷料理では重要でした。乾隆帝は鶏とアヒルを特に好み、ツバメの巣の料理も一度に2品も出るほど好きでしたが、フカヒレ・ナマコ・エビなどの海産物は乾隆帝の菜譜(メニュー)に残っていません。海産物はニガテだったようです。
清朝の宮廷料理はこの乾隆帝の時代に完成します。二つの民族の文化と味が出会って大いに進化し、料理の数が増え、体系化されました。この時代の袁枚の著『随園食単』には、現在の中国料理に通ずる基礎的知識と3百種以上の料理を載せています。
明の時代のフカヒレは、「南方人が珍重する」でしたが、この時代の書物には「フカヒレの姿煮が美味である」と記述があります。