横浜中華街の市場(いちば)通り。百メートル余りの狭い道に中国料理・青果・食料品の店が並ぶ。つい先ごろまで魚屋・肉屋・酒屋・食器、日本そばにすしの店もあったここは、この街の台所。 川魚を扱う雪本川魚店に戦後4、5年のあいだ海の魚が並んだ。「明治丸や昭和丸という船が富津の米や海魚を前田橋に直接揚げたし、漁船も船を横付けしたね。マグロも揚がり料亭向けにいい商売したよハハ…」でも海の魚は統制を受け取り締りが厳しい、川魚は統制がないので戻った、と語る。川魚―コイ・ライギョ・レンギョ・ソウギョ・フナ、これらの魚は千葉の我孫子や柏から電車で運んできた。ウナギ、これは中華街すぐそばの新山下の海で仕掛けを沈めると採れた!ウナギはもちろん蒲焼に。「3時4時に起きてくしを刺すんだけど、朝から人が並び、戦前は大通りの角まで並んでいることも多かった。」ウナギの数に限りがあるので、断るのに苦労したそうだ。 戦後すぐのころ、中華街に中国料理屋は10軒くらい、多くはなかったが、「宴会はコイだったね、コイのから揚げ。1日50から百匹、腹出して店へ納めるんだけど、税務署が料理店の売上を調べるのにコイの仕入れを調べる時代もあったんですよ。」 88年、雪本川魚店は2階に鯉鰻菜館を開業する。料理店に貸すつもりが、息子の博明さんが積極的で開業に至る。店名は「コイ屋とかウナギ屋とか呼ばれていたから、それを生かそうと思って」決めた。しばらくは兼業していたが、6年前に魚店はのれんをおろす。鯉鰻菜館のおすすめは海鮮中国料理、素材には絶対の自信がある。 若いときから、父譲りの写真が趣味。最近は店で使う料理写真を撮ることが多かったが、今年は中華街の行事を写そうと決めている。新しい趣味は水彩画。「旅先で景色を描きたくて始めたんです。いま描いているのは枯れたヒマワリ、日々枯れていくのがおもしろい。」そのしなやかな好奇心に、接する人も心楽しくなる。 (インタビュー 新倉洋子) |