文・写真/安西亜矢子(中国映画研究) | |||
骨董品が好きで、よく潘家園に行く。ここでは、毎週末に蚤の市が開かれる。北京市東三環南路、高層マンションが立ち並ぶ一帯のぽっかりとした空き地。週末ともなるとたくさんの人がやって来て、ゴミだか骨董だか判断しかねるような代物を所狭しと並べ、臨時骨董商となる。中国に1度でも訪れたことのある方ならば、想像に難くないと思うが、中国式の商いは実に活気に満ちている。 「あんた、この壺は明の時代のものだというけど、それはどうかね?」 骨董に関しては素人でないような雰囲気を漂わせているおじいちゃんが言う。 「いや、まちがいない。この模様、色使い、明らかに明代のものだ。疑うんだったら買わなくていいよ。他にも欲しがってる人はいるんだから。」 こういったやり取りがあると、すぐに黒山の人だかりができる。中国の人は好奇心を包み隠さない。“品評会”の始まりだ。さり気なく彼らに混じってみるのも、ここへ来る楽しみのひとつである。 「走!(行くよ!)」 おじいちゃんたちの会話に聞き入っていた私を呼ぶ声がした。中国人の友人RさんとZさんだ。慌ててその場を離れ、彼らと一緒にひとつひとつまた、ゴザの上をのぞいて行く。と、二人の足は古本が山積みになっている所で止まった。 「懐かしいなあ。」と二人。そのまましゃがみ込み、本を物色し始めた。パスポートを一回り小さくしたくらいの大きさのその本は「連環画」または「小人書」と呼ばれている。30年代から出版され、老若男女を問わずだれもが夢中になった娯楽のひとつだった。『西遊記』『三国演義』『紅楼夢』、中国を代表する古典の傑作から、民話、革命史を綴ったもの、抗日戦争もの、外国の童話、魯迅など偉人の伝記、香港のテレビドラマを改編したものなどなど…、その内容は実に豊富だ。 定価、1冊約2〜3毛(3〜4日本円。これはあくまで現在のレートで換算した数字である)。しかし子供の僅かなお小遣いでは、買って読むのはなかなか難しい。そこで街頭に登場したのが露天貸本屋である。1冊約1〜2分(15〜30銭)。子供たちはお小遣いをもらうと、それを握りしめて貸本屋へと駆けつけ、「連環画」―空想の世界への切符を手にしたのだった。 私も彼らと一緒に本の山を掘り始めた。次から次へとおもしろそうな連環画が出てくる。その中で、特に興味を引かれた次の2冊を紹介する。 『三毛流浪記』。著名な漫画家、張楽平の作品。時は中国解放前(49年10月1日以前)の国民党統治下。天涯孤独の少年“三毛”の目を通して当時の社会の矛盾を鋭く描き出しているこのシリーズは、大きな反響を呼んだ。辛い境遇にありながらも良心を捨てず健気に生きていく三毛は、当時の人々の心の朋友だった。 この三毛、なんとも愛嬌があってかわいらしく独特の味がある。手にとってながめていると山水画を描くRさんが言った。 「この『三毛流浪記』の絵をまねるところから、ぼくの絵画人生が始まったんだ。連環画を借りてきては、読み終わったらそのイラストをまねて描く。連環画はぼくにとっては“啓蒙老師”(手ほどきをしてくれる先生)だったんだよ。」 なるほど、『三毛流浪記』だけでなく連環画の絵のレベルは、芸術の域に達しているといっても過言ではない。現に有名な画家の多くは、連環画を描くことによって広く人々に知られるようになったという。30年代から80年代後半までの約半世紀、テレビの台頭に押されるまで、子供から大人に至るまで幅広く愛されていた連環画。その影響力は計り知れない。今、中国で活躍している画家・小説家・漫画家・映画監督などの文化人たちも、この連環画から多かれ少なかれ何らかの影響を受けているのかもしれないなあ、そんなふうに思い、また古本の山をほじくり出し始めた。 |