黄潤華(1932〜2000)その1 川浦みさき(画家) 山水画を1年学び、さらに延長したい、という希望を山水画主任教授の黄潤華老師にお話ししたところ、すぐ推薦状を書いてくださった。黄老師は、まさに大人と呼ぶにふさわしい堂々とした風貌の方で、常に穏やかで易しい言葉で話してくださった。黄老師の画風は、その人柄同様おおらかで力強い。だがその骨太な線の内に、繊細な細部の表現が重なっていた。 指導の際、特に強調したのは、虚実と疎密の重要性だった。 留学生班の太行山写生旅行を引率してくださったのも黄老師だった。私が山をスケッチしている時、黄老師がそれを見ながら、「この言葉を知っている?」と、「走馬・透風」の二語をスケッチブックの隅に書き入れた。「画面で密の所は馬が走り抜けられるように、それほどの強固さが要る。疎の所には、風が通り抜けられるような広がりが要る。」私が「分かりました。」と言うと、老師は笑顔で続けた。「でも次にはこう考える。疎は馬が走り抜けられるように、密は風が通り抜けられるように。」確かに、疎という虚の表現にこそ、ゆるぎない強さが必要であり実の重なりである密の中にこそ、風を通す空間の表現が必要となるのだ。白い画面(虚)に置かれる墨の黒の点と線(実)、それは太極の図に似ている。そして、太極図の魚に目があるように、疎の中に密、密の中に疎が表される時、それは「活眼」と呼ばれる。老師から教えていただいた多くの言葉の中で、特に忘れがたいのがこの言葉である。 2002年6月22日(土)〜30日(日) Kアートスペース 045-662-1671 |