(No.31-2002.2)【曽徳深】


 映画「ハリー・ポッターと賢者の石」を見て、とくに印象深いシーンがあったので、本で確かめたら、『みぞの鏡』と題した一章であった。魔法学校の校長が『みぞの鏡』の虜になったハリーを諭して「この世で一番幸せな人には、この鏡は普通の鏡になる。その人が鏡を見ると、そのまんまの姿が映るんじゃ。」「鏡が見せてくれるのは、心の一番奥底にある一番強い『のぞみ』じゃ。それ以上でもそれ以下でもない。君は家族を知らないから、家族に囲まれた自分を見る。(省略)しかしこの鏡は知識や真実を示してくれるものではない。鏡が映すものが現実のものか、果たして可能なものなのかさえ判断できず、皆鏡の前でヘトヘトになったり、鏡に映る姿に魅入られてしまったり、発狂したりしたんじゃよ。(省略)夢に耽ったり、生きることを忘れてしまうのはよくない。」そして鏡をよそに移すから、もう探してはいけないと諭す。私は、これでは夢を見たり持ったりするのはいけないことだと思われてしまうのではないか、と引っかかった。これが早とちりであることが、ハリーが《賢者の石》を『みぞの鏡』で手に入れる結末で気が付く。
 目の前に『みぞの鏡』があったら、人々は何を眼にするだろうか?失業者は晴れやかに出勤する自分の姿を、トルシェ監督はサッカーワールドカップに優勝して胴上げされているシーンを、アフガンの難民の子どもは自宅で家族全員で食卓を囲んでいる光景を…。
 大きいか小さいか、実現するか否かは別として、望みや夢をもつことはとても大切だ。想像してみよ、自分が鏡の前に立ったとき、何も映らなかったとしたら…。
 「人間でも地域社会でも夢がないと死んだも同然。で、先ず夢を掘り起こそう。夢を持てば志が立つ。志があれば行動する。成果が出る。それが遺伝子となって次の夢を育てる。」(1991年・梶原岐阜県知事)


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